コラム IT・テクノロジー

AIが機械に得意な人を殺してしまうのか?これからの機械の付き合い方

投稿日:2018年8月9日 更新日:

AI

以前は、機械に強い人を頼りにしていませんでしたか?

車やカメラ、AV機器、PCと、一昔前には詳しい人が一緒でないと買い物も一苦労なアイテムが身の回りにあふれていました。
こんな時に役に立ったのが、機械に強い人達でした。買い物や機器の設置、設定の相談、ちょっと複雑になってくると、じゃあ、ちょっと見に行こうか?なんて声をかけてくれる心強い味方が周囲に一人や二人はいたはずです。もしくは、この文を読んでるあなた自身が、頼れる兄貴だったのではないかと思うのです。

ところが、頼れる兄貴が必要のない時代が2020年以降ぐらいから始まります。機械に強い人にとっては冬の時代と言っても良いかもしれません。

プライベートで頼られない程度ならまだしも、場合によっては会社の仕事が減ったり部署が無くなってしまって、失業したりなんて人もいるのではないかと思います。

機械の操作は年々簡単に…

1990年代から2000年代初頭までは、各種専門性の高いAV機器やPCの拡張パーツが登場していて、ガジェット好きな人にとっては、非常に楽しい時期だったのではないかと思います。ところが、スマホが登場すると、複数のガジェットの機能がスマホに統合されてしまい、機器の数が減り始めました。操作も随分改善され、それほど知識が無くても、スマホ上のアプリで済む時代がやってきました。これは、AV機器やガジェットだけの話では無くて、自動車や白物家電など総て波及していきます。

家電やPCが一体型のノートパソコンやスマホに、機能を奪われると共に、接続などの作業は必要なくなり、今では、機械に強い人達の活躍の場は少なくなってきています。

さらに、自動車などの運転や管理も緩やかでは有りますが、変化しつつあります。自動車の運転したり管理するのは、昔と比べると随分簡単で知識も必要なく、メンテナンスフリーになってきているのは明白です。エンジンオイルを定期的に交換して、洗車しておけば、10万kmぐらい何もしなくても故障も無く走り続けられるのは普通です。後はウインドウォッシャー液の補充とワイパーの交換ぐらいでしょうか?

自動車だって簡単になっている

運転も一昔前と比べれば随分簡単になっていて、マニアルの車に乗っている人は稀ですし、車線からはみ出さないようにサポートしてくれたり事故を防止・軽減してくれる機能も当たり前になりつつあります。
そもそも、車というのはユーザーが適切に使わなければ非常に危険な道具で、人や物に危害を加えてしまう可能性が有ります。こんな危険な道具をよく100年も使ってきたと思いますが、AIや各種センサーやコンピュータが導入されるまでは機械を適切に制御する方法が無かったので、仕方なく人間が機械の調整や操作を絶えず行って来たわけです。一種、人間が機械の一部に組み込まれているとも言えるかもしれません。

正直、標識やメーターを見て車の速度を一定に保つなんて作業は面白くもないし、そんな作業はは全部機械にやってもらいたいですよね。

さらに機械に強い人にとどめを刺すのはAIの発展ではないかと私は考えています。今までは、細かい点まで機械に指示を出さなければ正確に動作してくれなかったのが、大雑把に入力しておけば、機械が判断して無難にこなしてくれる。これでは、機械に強い人の出る幕が有りません。

そもそも、接続などの作業は最小限に簡略化されている上に、操作もAIがサポートしてくれるので迷わない。場合によっては操作の案内などもユーザーのレベルに合わせて、自動で選択してくれるようになるかもしれません。機械や用語に強くない人には平易な言葉を使ったり、より丁寧な説明をしてくれたりぐらいは有るのではないかと思います。

今後、AIが家電や車などに搭載されるようになれば、この傾向は強まる事は有っても弱まる事はないでしょう。

機械に強い人がいなくなってしまった後の世界について考える

これは、結構想像力のいる難問です。現在既に、そういった兆候や傾向が有りますが、機械に詳しい人が昔ほど尊敬を集めなくなってきているのは当然です。考えてみれば、人は既に廃れてしまった技術やノウハウに関して、感傷に浸ることは有るかもしれませんが、振り返って再び使ってみる事はあまり有りません。

例えば、蒸気機関車や帆船の事を考えてみれば分かりやすいのではないでしょうか?

観光など特別な用途を除けば蒸気機関車を再び普通の路線に走らせようという人は少数派でしょうし、蒸気機関車の運転や整備をしていた人が普段から尊敬を浴びたり脚光を浴びたりすることは少ないのではないかと思います。

そういった意味では、人類は陳腐化した技術や知識、そしてそれを持った人たちを使い捨てにしながら文明を築いてきたとも言えます。そして、今までと同じように機械やPCが陳腐化すると、それに関する知識や技術を持った人達をまとめてお祓い箱にしてしまうのは、今回も同じなのでしょう。

機械に強い人がいなくても困らない時代が来る

究極的には、機械のことなんて知らなくても生活していける時代こそが有るべき姿なのではないかと私は考えています。機械の操作をしなくてもAIによって適切な設定がされ、人間には快適でストレスフリーな環境が提供される。未来には、機械の調整をするだけの単調な仕事は存在せず、3K的な作業やブラックな仕事は総て機械やロボットに任せる訳ですね。

もちろん、機械の世話をしていたオペレーター的な人たちの仕事は消滅してしまいますが、これは仕方ありません。

これに合わせて、機械に強い人達も社会での役目を終え、徐々に消えていくのです。誰も、感謝してくれる事は無さそうですが、機械に強い人の社会への貢献は一時代を支えたと言えますが、時代は残酷で待ってはくれません。

20世紀的思考からの脱却が必要

我々人類は産業革命以降、極端に機械に頼った進歩を遂げてきました。もちろん、機械化以前には出来なかったような大規模な土木工事など出来るようになりましたし、飛行機や鉄道を使えば、歩いては行けないような距離でも移動可能になりました。

一方で、機械が自動で作業をする方向性では進歩が遅く、機械が人から離れられない時代が長く続いてきたとも言えます。機械は人から離れられない反面、機械をサポートする仕事も多数生まれ、人も機械から離れられない状態となっていきました。機械の動きはぎこちなく、人や生物のようなしなやかで機敏な動きを実現するのは難しいようにも思われましたが、AIの登場以降は劇的に状況が変わりつつあります。

親離れ出来ない機械が、AIの実現によって、いよいよ人から離れて自立していくのがこれからの社会なのではないでしょうか?

そういった意味で、我々は、機械という子育てを終え、機械が親離れする時代を今まさに迎えているのかもしれません。

人類は種としての老後をどう楽しめばよいのか?

さて、そのうち人の手を離れて独り立ちしていまうかもしれない機械の進歩を止めるのは、中々難しそうですが、開き直って種としての老後をどう楽しむのかを考えてみるのはどうでしょう?

もう、下らない効率主義なんかは機械に任せて、悠々自適な老後を送るのです。

老後と言えばネガティブに捉える人も多いかもしれませんが、様々な責任を機械に任せて、人はそれを背後から見守っていれば良いのではないでしょうか?

買い物に行くので車が必要なときは、運転が上手くなった子供達の世代に運転を任せるように、車の運転も機械の設定も総てAIに任せて、車に乗ってれば買い物も旅行も連れてくれるような生活も悪くないかもしれないですね。

可能性は薄そうですが、お金を出してあげるから温泉へ旅行にでも行ってくれば?なんて言ってくれる人に優しいAIが登場する日を夢見て生きて行きたいと思います。

そして、我々は、今我々が行っている仕事や作業を機械が肩代わりしてくれたときに、捻出された時間を何に使うのか?を今から考えなければならないのだろうなと思います。

ライカのカメラのように、人間が操作しなければ行けない要素が多い機械を敢えて使うのも良いかもしれないですし、可能であれば、捻出された時間を別の仕事に割り振ったり、今までは出来なかったようなクリエイティブな活動にエネルギーを使うのも有りかもしれないですね。

  • この記事を書いた人

masa

-コラム, IT・テクノロジー
-

Copyright© NOWH , 2024 All Rights Reserved.